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先代旧事本紀にみる物部氏

先代旧事本紀にみる物部氏
 「先代旧事本紀」という書物が存在する。これは江戸時代以前までは「古事記」「日本書紀」よりも珍重された、古典である。序文に推古天皇の命により聖徳太子と蘇我馬子が編纂したものとある。しかし実際は9世紀にできたものらしく、江戸時代になると偽書というレッテルをはられてしまった。これは聖徳太子の編纂というのが明らかに嘘でそれだけで偽書になったわけであるが、江戸時代から明治時代には尊王精神が高揚され、この中にある、神武天皇以前に饒速日尊(にぎはやひのみこと)が存在し、皇位を禅譲したことが不敬であるとの理由が大きかったと思われる。しかも内容が「古事記」「日本書紀」「古語拾遺」からの抜書きが多く、内容に信頼性が乏しかったとの判断であった。しかしそれらにない独自の伝承や神名が見られ、また、物部氏の祖神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)に関する独自の記述が特に多く、現存しない現在存在しない物部文献からの引用ではないかと考える意見もある。編纂者の有力な候補として、国学者御巫清直(みかんなぎきよなお 1812-92)は明法博士の興原敏久(おきはらのみにく。元の名は物部興久)を挙げている。この人物は物部系の人物であり、彼の活躍の時期は『先代旧事本紀』の成立期と重なっている。編纂者については、興原敏久(物部敏久)の他に、石上神宮の神官説がある。いずれにしろ「古事記」「日本書紀」に記された物部氏の立場に不満を持ち、物部氏を擁護する意図があったものと思われる。
 内容は10巻からなり以下のとおりである。

第1巻「神代本紀」「神代系紀」「陰陽本紀」:天地開闢、イザナギ神話。
第2巻「神祇本紀」:ウケイ神話、スサノオ追放。
第3巻「天神本紀」:ニギハヤヒ神話、出雲の国譲り。
第4巻「地祇本紀(一云、地神本紀)」:出雲神話。
第5巻「天孫本紀(一云、皇孫本紀)」:物部氏、尾張氏の系譜。
第6巻「皇孫本紀(一云、天孫本紀)」:日向三代、神武東征。
第7巻「天皇本紀」:神武天皇から神功皇后まで。
第8巻「神皇本紀」:応神天皇から武烈天皇まで。
第9巻「帝皇本紀」:継体天皇から推古天皇まで。
第10巻「国造本紀」:国造家135氏の祖先伝承。

第3巻「天神本紀」は『先代旧事本紀』の中で、天孫本紀、国造本紀と並んで重要視されるのが、饒速日尊の降臨伝承を記す、天神本紀である。天照太神と高皇産霊尊の子孫である饒速日命に天璽瑞宝(あまつしるしのみずたから)十種を授けた。そして天の磐船に乗り、河内国の川上の哮峰(いかるがのみね)に天降った。さらに、大倭(やまと)国の鳥見(とみ)の白庭山へ遷った、とある。いわゆる、天の磐船に乗り、大虚空(おおぞら)をかけめぐり、この地をめぐり見て天降られ、“虚空(そら)見つ日本(やまと)の国”といわれるのは、このことである。

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磐船神社のご神体(背後の巨大な岩)

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ご神体の磐(天の磐船の舳先といわれている)


このとき三十二人の武将、五人の随行者、五集団の供、二十五の軍団、船長・梶取など六人の名前も見え、『日本書紀』神武即位前紀にある「むかし天神の子・饒速日命が天磐船に乗って天降った」という記述を具体的なものにしてる。
 この場所は現在大阪府枚方市から奈良県生駒市を結ぶ国道168号線に沿って天野川が流れ、その途中に磐船神社があり神社の周辺を巨岩が水流を遮るように、水しぶきをあげている。この岩場は昔から修験者の巣窟で、修験の場であった。近く生駒の北端に哮が峯も存在し奈良県にはいると生駒市白庭台という新興住宅地がある。これらはいずれも、饒速日命ゆかりの地名とされているが、異論もある。

 第5巻「天孫本紀」は饒速日尊が大和に移ってから、鳥見の豪族長髓彦の妹・御炊屋姫を妃として宇麻志麻治尊を誕生させる。さらに天道日女を妃にし、天香語山命が誕生したという。宇麻志麻治尊が物部の始祖となり、天香語山命は尾張氏の祖となった。このあたり日本書紀と同じ、神武天皇への禅譲の記事がある。特に尾張氏については情報が少なく、ここに記されている家計図は貴重である。尾張氏は継体天皇の即位の影の主役や壬申の乱の天武方の功績があるが詳しいことは判っていない。

 第10巻「国造本紀」も貴重である。神武天皇から元明天皇に至る各天皇ごとの設置国造の数と国造名を列記している。記紀には掲載されていない国造も多く、後世大いに参考にしている。
 国造とはヤマト王権の行政区分の一つである国の長と言う意味で、この国がしめす範囲は、律令国が整備される前の行政区分であるためはっきりと判明していない。 元来、その地域の豪族が支配していた領域がそのまま国として扱われていたと考えられている。また国造の定員も1人とは限らず、一つの国に複数の国造がいる場合もあったようである。ヤマト王権への忠誠度が高い県主とは違い、元々、国主(くにぬし)と言われていた有力な地方の豪族がヤマト王権に服したときに、そのまま国造に任命され、臣・連・君・公・直などの姓が贈られ、かなりの自主性の下にその地方の支配を任されていた。そのため軍事権、裁判権を持つなどその職権の範囲はかなり広かった。

神武 18 18 ** 国造数(新設)第3位
開化 1 19 **
崇神 12 31 *** 国造数増加第4位
景行 8 39 ****
成務 63 102 ********** ヤマトタケルによる急成長著しい・増加国造数第1位
仲哀 1 103 **********
神功 2 105 ***********
応神 20 125 ************* 国造増加数第2位
仁徳 6 131 *************
允恭 1 132 *************
反正 1 133 *************
雄略 3 136 **************
継体 1 137 ***************
? 3 140 *****************
孝徳 1 141 ******************
元明 3 144 *********************

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